1. トップ
  2. ベリーダンスとは?
  3. まずは歴史から
  4. 踊りのスタイルから…
  5. アメリカに渡ったベリーダンス

ベリーダンスとは?

1960年代に社会的抑圧からの女性解放をめざした政治運動や性に対する意識改革が起ったアメリカでは、女性が本来持っている力を評価しようという女性賛美的風潮も生まれました。その頃、すでに女性性を強調するイメージが浸透していたベリーダンスは、女性解放の踊りとして評価されるようになったのです。これをきっかけに、ベリーダンスはドラスティックに数々のスタイルを生んでいきます。

キャバレースタイルとは、レストランやホールなどでお客と近い距離で踊るスタイルのこと。エジプト、トルコなどの中東の地域では、このスタイルでベリーダンスが踊られることがほとんどです。
アメリカでベリーダンスが広がり始めた頃も、キャバレースタイルからスタートしました。そして、アメリカン・キャバレースタイルの中でも数々のスタイルが生まれました。

Moroccoキャバレースタイル

発祥の時期は定かではありませんが、アメリカにある中東諸国等のレストランでベリーダンスが踊られるようになったのが、アメリカでのキャバレースタイルの始まりです。1950年代後半から1960年代にかけてナイトクラブで踊っていたMoroccoは、アメリカにベリーダンスを広めたといわれているダンサーの一人です。

ベリーダンスがアメリカの人々に広まったのも、この時期が始まりといわれています。レストランやホールなどのお客と近い場所で踊るため、見せるだけの踊りではなく、踊りを通じてお客とコミュニケーションをし、ときにはお客もいっしょに踊れるような雰囲気を作り上げるなど、楽しい宴の場により花を添える踊りとして、ベリーダンスは徐々に受け入れられていったようです。当初はアメリカに住む中東系の人々が主な観客でしたが、さまざまな人々のエンターテイメントとしての成長をはじめていきました。

アメリカン・ベリーダンス

Jenaeni1960年代から1970年代、中東からの移民たちによって、アメリカの港町(ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、ニューヨーク)においてベリーダンスが伝えられ、アメリカン・ベリーダンスという独自のスタイルを作り上げました。ターキッシュスタイルをベースに、アメリカ独自のベリーダンス解釈を加え、世界各国のダンス文化の要素を加えたスタイルです。空間を大きく使ったダイナミックな踊りやベール技術が特徴的。装飾の一部としての意味合いの強かったベールを利用したダイナミックな動きや細かな技術表現は、アメリカ・ベリーダンスのスタイルとして発達し、中東諸国に逆輸入されています。1975年に『The Art of Belly Dancing』を著したDahalena、1960年代初めよりロサンゼルスで活躍していたAntoinette Awayshak、「Yaleil Middle Eastern Dancers」の創始者でAnsuyaの母親であるJenaeni Rathorなどは、アメリカン・ベリーダンスを広めたダンサーと言われています。

アメリカン・フュージョン・ベリーダンス

Bellyqueen1990年代後半から2000年前半頃のスタイルですが、発祥の経緯は明確ではありません。アメリカン・ベリーダンスのスタイルに加え、その他のダンスの要素を、ダンサーの経歴や好みで取り入れ融合したスタイルです。ジャズの特徴の濃いもの、ピップホップの要素を取り入れたもの、タヒチアンとの組み合わせなど、バリエーションはいろいろです。1998年にKaeshi Chai とAmar Gamalが設立したBellyqueenなどが有名です。

アメリカン・トライバル

「トライバル」とは部族、同族といった意味。1960年代にアメリカの西海岸で発祥したトライバルとは、中央アジアから北アフリカにわたるさまざまな民族衣装の要素を盛り込んだ独自のものスタイルのことを言います。  踊り方は民族、部族間の調和を大切にするといったイメージが強く、ダンススキルをそろえた2人以上のグループでの即興が基本スタイルとなります。女性の強さを強調する歯切れのよい踊り方が多いようです。表情にあまり変化を見せないのも、このスタイルの特徴といえるでしょう。

カリフォルニア・トライバル

Jamila Salimpour、John Compton、Rita Aldercci1960年代、カリフォルニア州サンフランシスコにて、Jamileh Salimpourが率いるダンスグループ、「Bal Anat」より確立されたダンススタイルです。

中東アラブ諸国や北アフリカのダンススタイルの要素を取り入れた踊りですが、民族ダンスの傾向の強いダンスです。現在一般的に浸透しているアメリカン・トライバルの先駆けともいえます。ソロで踊るのが基本で、2~3人の少人数で踊る場合は、一人ずつかわるがわる前に出て踊ることが多い。黒とシルバーがメインのアュート(綿または麻と金属を組み合わせた布地)を使った衣裳が一般的。

Jamileh Salimpourのもとで学び、60~70年代にかけて活躍したJphn ComptonやRita Alderucci、さらに彼らが1991年に設立したダンスグループ「Habi Ru」なども、このスタイルのダンサーとして有名です。

アメリカ・トライバル(AST)

FatChanceBellydabnce1980年代、カリフォルニア州サンフランシスコで、Carolina Nericcioの率いるダンスグループ「FatChanceBellydabnce」によって確立されたスタイルで、手の動きはフラメンコの影響を受けているとも言われ、下半身はアメリカン・エスニックの影響を受けているとも言われます。デュエット(2人)、トリオ(3人)、クォンテッド(4人)などあらかじめフォーメーションが決められています。

曲に合わせて振りつけをすることがなく、キュー(上半身を中心とした動きのコンビネーション)とステップが複数パターン用意されています。このキューとステップを組み合わせて即興で踊るのが基本です。ダンスパフォーマンス中に笑顔はなく無表情で踊るのが特徴的です。衣裳は黒のスカートやパンツにカラフルなフリンジ、ベルトを巻き、黒のコインブラをするのが基本。それに中央アジアを中心としたアクセサリーをたくさん重ねづけし、北アフリカのヘッドセットやヘアアクセサリーを合わせることが多いようです。またアメリカン・トライバルダンサーはタトゥーを入れることも多いです。

アメリカン・ジプシー

Dalia Carella、Eva Cernik北インド周辺から中東、東ヨーロッパ、スペインなどに移動したジプシー(ロマ、ヒターノ)たちによって踊り継がれていったスタイルをジプシー・スタイルといいますが、アメリカにベリーダンスが広まったのちに、ベリーダンスの根底にあるジプシーの踊りを見つめなおし、独自のスタイルとして確立したダンサーたちがいました。そのスタイルをアメリカン・ジプシーと言います。

発祥の経緯は明確ではありません。フラメンコダンスの一種でスペインやモロッコ文化の影響を受けているザンブラ、インド舞踊、ターキッシュ・ジプシー、アメリカン・ジャズなど数多くのダンスの要素を取り入れた、アメリカ独自のジプシースタイルです。衣裳は大きな10ヤード・スカートにカラフルのフリンジ、裾がひらひらと広がる袖を多く用います。

1985年に、トルコ、スペイン、インドの動きにフォーカスした「Dunyavi Gypsy(Rpm) Dance」のスタイルを確立したDalia Carella、デンバーを拠点に活躍しているEva Cernikなどが有名です。



まだまだ生まれ続ける、ベリーダンスのスタイル

ここまで紹介しただけでもベリーダンスにはさまざまな種類があるということがわかると思いますが、このほかにもさまざまなスタイルが生まれています。Bellydance Superstarsで活躍するSoniaによるベリネシアン・スタイル、Sbahaのクラシック・バレエを取り入れたスタイルなども、ベリーダンスの進化形として注目を浴びています。

なぜ、このようにベリーダンスにはさまざまなスタイルが生まれるのでしょう。おそらく、それだけベリーダンスが自由度が高い踊りであり、また自分自身の心の奥をそのまま表現しやすい踊りだからではないでしょうか。そして、芸能の世界ですから当然より他人以上にアピールでき、注目を浴びる表現を身につけなければなりません。そのために、伝統的な中東の踊り方を頑固に守り、ダンサーとしての自分の売りにする人もいれば、より個性的な独創性のある踊り方を自分の売りにしようと考えるダンサーもいるわけです。

まだまだこれからも新しいスタイルが生まれ続けるでしょう。さて、その中でどのようなスタイルが長く残り、多くの人々に受け入れられるのでしょうか。そんな行く末を見ていくのも楽しいですね。



<参考>Belly dance japan (ベリーダンス・ジャパン) vol.02